日本国内の宣教と海外邦人宣教は一体何が違うのか?
それは大いに違う。
では、何が違うのか?!
まずそれは一つではない。幾つもある。未だ言葉に出来ないようなものや未発見のものもある。
皆様はどう考えるか分からないが、また意外だと思うかも知れないが、私が最も感じるのは「孤独」ということかもしれない。
日本国内にいれば県や市、あるは同じ教団などの牧師会がある。海外でももちろん牧師会はある。しかしそこでは「日本人宣教」ということを十分に理解していただくのはなかなか難しい。
何故なら欧米文化の方々にとって、日本文化はあまりにも違いすぎるので理解しようにもまるで考えたことが無いほど、難問な文化といって良いのです。
そうした独特の日本文化を持った日本人、あるいは日本人のDNAといいましょうか(内に秘めているようで表面的には分かりにくい部分があるような・・・といいますか・・・)、そうした日本人の課題を理解し、適切に弟子訓練をして導くには、宣教師一人のマンパワーだけではどうすることも出来ないのです。
もちろん宣教師は当然、『自分は一人ではないこと、主がいつも共にいて下さっていることを知っている。そして自分の力では決して宣教は出来ないこと、主に繋がっていなければ・・・、御霊によらなければ・・・』、とわきまえている。
だからこそ、そうした霊的な闘いの中で共に祈ってくれる友がやはり必要なのです。海外の場合、同じ課題を共有できるような友(牧師会など)が圧倒的に少ないのです。
そしてそれは牧師・宣教師だけでなく、海外に住む日本人も同じように悩んでいるのです。
*「孤独」はどの国であっても共通の悩み、または課題でしょうが・・・。
何も言わなくとも似たような価値観でいる人々が国内では周りに多いというだけで、もしかすると気がつかない程度かも知れないが、心は意外に軽くなっているものです。
海外に住む日本人が交わりを求めて集まってくる理由はそこにもあるだろうし、集まったら集まったで、別の問題が出てくる・・・。
宣教師は孤独の中、様々な課題と向き合い、神の御思いを知りたく、聖霊に満たされ、御声を聞くことにより集中するのかも知れない。
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