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苦しみのどん底で救いを求めて・・・

※※Wi-Fi環境問題があり、久し振りの投稿です。※※

7月はまるまる山口県を訪問しました。そして8月1-8日まで広島県を訪問しています。特に8月6日に広島にいるというのは、大きな意味があると思います。
主は、このような時に私を広島に置いて下さいましたので、デプテーションの空いている時間を利用して原爆ドームや資料館などを訪れました。

 

改めて戦争の恐ろしさと悲しさ、また痛みと苦しみ、その悲惨な光景を目の当たりにしました。

被爆した少女とその看護に当たる看護師

原爆というとてつもなく恐ろしい爆弾により被爆した多くの犠牲者たち。
そしてそれを看護する看護師や医師たち。
どちらの者も、全ての人達が「救い」を待ち望みました。

「助けてください!!!!!・・・。」と。

両親も家族も爆死し、こんな小さな子が一人残されたら・・・。

その悲痛な叫びに、主は耳を貸さなかったのだろうか?

いや、そんなことは絶対にあり得ない。

主こそは、誰よりも人々が救われることを願っているお方。

「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない・・・、生きよ。」エゼキエル書 18章 32節

「・・・わたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」
                         ヨナ書 4章 11節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
                         ヨハネの福音書 3章 16節

何よりも揺るがない主の愛と証が主の十字架です。

私達は誰もが例外なく罪人です。その行き着く先は死でした。

しかし御子イエス様の十字架は、罪人であった私達の罪を代わりに受けて死ぬことにより取り去って下さいました。そしてそれだけではなく、主は三日後によみがえりました。それは死して罪を葬り、よみがえったことにより死に完全に勝利し、罪ではなく神の義を私達に与え、私達は神の子とされ、誠の救いに入れられました。

原爆というとてつもない大きな悲劇の中、被爆した方々の看護に当たった看護師や医師たちは、薬を塗り、ガーゼを交換しました。彼らの尊い働きは言葉に出来ないほど素晴らしい愛の業です。しかし、真に癒やし、誠に救うことが出来るお方は唯一の神であるイエス様にしかありません。

私達信仰者はこのお方を知っています。何と幸いでしょうか。
その幸いを、救いを求めている人々へ伝える使命があります。

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。
その証しのために、私は宣教者、使徒、そして、信仰と真理を異邦人に教える教師に任命されました。・・・」
                          1テモテ 2章 4-7節

 

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